シリアで内戦と呼ばれる状態になってから5年以上が経過しています。
2011年、「アラブの春」という民主化運動を発端としてはじまったこの情勢は現在どうなっているのでしょうか。
知りたい時期の情報を検索しても出てくる「まとめ」ページは断片的で見にくく、わかりやすいものがなかなかありません。なるべくわかりやすく解説していきたいと思います。
もくじ
2016年3月までの概要
ことの発端はチュニジア・エジプトで起こった『アラブの春』という民衆による民主化運動です。
この運動の流れがシリアにも届き、シリアでも市民運動が起こりました。このときはまだ主役はあくまで民衆で、要求も、生活改善を求めるというごく自然な運動でした。
しかしこの民主化運動に、武装勢力や諸外国が利害を理由に絡んでいき、問題は複雑化、泥沼化。この時点ですでに民衆運動ではなくなり、多くの犠牲者が生まれました。
2014年には『ISIS』と呼ばれるイスラム国を名乗る国家が台頭し、各国の目的はISISの鎮圧に変化していきました。
ISISの制圧を目的とした空爆が各国からなされ、特にロシアに対してはISISが正式に敵対を表明するなど、ますます泥沼化していきました。結局武器を持たない一般市民が犠牲となり、多くの死者と難民を生みました。
そして2016年3月15日にロシアが空爆から撤退し、ひとまず落ち着きを見せましたが、結局のところまだ根本的な問題は解決してはいません。
シリア情勢の詳しい経緯はこちらをご覧ください。
シリアの内戦、難民問題【1ページでわかりやすく解説】内戦の原因から現在(2016.3)の状況まで
今回は3月15日以降のシリアがどのような状態なのかわかりやすく解説していきます。
2016年3月15日ロシア撤退
2016年3月15日、ロシアがシリア上空の空爆から撤退を表明しました。この時点ですでに、難民と避難民の数は1100万人以上に上りました。国民の2人に1人が避難生活をしています。
内戦によって奪われたもの
特に子どもたちの生活状況はとても厳しいものです。戦闘によって親を亡くした子どもたちは実に80万人以上に上ります。難民キャンプでも十分な支援はもちろん受けられず雨も十分には凌ぐことができない住環境に加え、心の傷も大変深いものになっています。
空爆で命を落とすのは、武力を持たない一般市民がほとんどです。
もちろん、空爆前の内戦状態のときからすでに多くの命が犠牲になっていましたが、空爆によってさらに被害が増大しました。
シリアでは内戦前は実に100%の子どもたちが小学校などに通っていたという、中東でも教育水準の高い国家でした。それがこの状況になってからは十分な教育を受けることが出来ず、さらには過激派組織ISの支配下で暮らす子どもたちは、自分の意思とは関係なくISの思想を植え付けられるなどして、子どもたちの自由は奪われ続けています。
空爆の影で横行していた女性の性被害
日本であまり報道されない現実があります。
反政府デモに参加したりすると、アサド政権の監視下に置くために留置所に拘束されてしまいます。夫が反政府デモに参加しただけだったり、家族が反政府家と疑われた人の妻であったり、それだけの理由でも拘束されていました。
そしてその女性から情報を引き出す目的で、性暴力が行われています。性暴力を行っているのは、政権派、反政権派、もはや関係なく横行していたとのことです。
中でも特に女性を利用していたといわれる組織はIS=イスラミック・ステートです。特に、宗教の異なる女性は奴隷をして扱われ、IS戦闘員の士気を高めるために女性を使っていたといいます。
空爆で命を失った市民や、命は助かったけれど一生心の傷を背負って生きていかなければいけない保護された女性など、多くの人が犠牲になっています。しかし、彼女たちを保護したり心のケアをする専門家もまた、戦況の悪化によって包囲されていて彼女らの元へ行けない状態であったり、医師も不足しているという現状があります。
それ以前に十分な衣食住の提供も不足しているという状況なのです。
アレッポの産業
シリアのアレッポで、1000年以上の歴史があるといわれている「石鹸」があります。アレッポで作られているもので、これは実は日本にも輸入されています。
オリーブと月桂樹の産地であるアレッポでも、やはり反政府勢力と政府側勢力による戦闘は続いていました。
原料がオリーブと月桂樹のみで作られているこの石鹸は世界中で愛用されており、内戦が始まるまではアレッポは産業都市として栄えていました。市内には石鹸工場が数百もあり、職人は誇りをもってこの石鹸を生産していました。
しかし2011年に内戦が始まると、アレッポは覇権争いに巻き込まれ産業は壊滅状態になってしまいました。
細々と続けていられた一部の工場も、港に石鹸を運ぶルートが武装勢力に阻まれたり、迂回ルートさえもISに支配されてしまうなどして、輸送に困難を極めていました。
しかし、内戦後もこのように石鹸作りを産業としていますが、やはり収入不足による生活困窮は避けられず、平均月収の倍以上の収入を得られる戦闘員になる人々も少なくないといわれています。戦闘員になる人々の中には、このように消極的理由からなる人々もいるのです。
経済的な自立が出来なくては、収入を求めて戦闘員になる人々の増加や、戦争の長期化など、負の連鎖を止めることが出来ないのです。
停戦合意の崩壊
空爆による甚大な被害にさらされていたシリアですが、2016年2月からは停戦協定が結ばれ一時は落ち着きを取り戻していました。しかしその停戦協定がここにきて崩壊の危機に瀕しています。
4月27日 アレッポで空爆
シリア北部の石鹸産業のまちアレッポでまたも空爆が行われました。空爆されたのは病院で、国境なき医師団が支援する病院でした。この空爆で少なくとも27人の死亡が確認され、病院は破壊され医療施設としての役割を果たせなくなりました。
この地域の主要な医療施設であり、小児科連絡センターでもありました。
爆撃機はシリアかロシアのものであったという証言がなされましたが、シリア政府は否定しました。
なぜアレッポが空爆の標的になったのでしょうか。
アレッポは反体制派組織が支配している地域です。そこの医療施設を攻撃することでライフラインを壊滅しそこに住む人々に逃げる以外の選択肢を与えないようにしていると考えられています。その病院の付近には本来の攻撃対象である軍事施設や戦線はなかったのです。
国境なき医師団の方針は、文字通り、民族や宗教、政治的志向には関係なく、武器を置いた人に対しては無料で治療を行うというものです。もちろん、治療は反政府軍に対しても平等に行われるのです。そのような理由もあり、政府軍が医療施設を故意に攻撃するという悪質な事例も増えているのです。
戦争にもルールがあるのだということを、国境なき医師団代表は呼びかけています。戦争中においても医療施設や医療従事者を攻撃してはならない、というルールがすでにあるのに守られていないという事実に非難が集まっています。
5月5日 避難民キャンプに空爆
シリア北西部サルマダに空爆がなされ、少なくとも28人が死亡しました。約50人負傷。
この地域はヌスラ戦線が支配する地域とされ、アサド政権が空爆した可能性が高いとされています。アサド政権はアメリカとロシアからの働きかけにより、5日から48時間の停戦を宣言しました。
5月30日 シリア北西イドリブに空爆
トルコ政府はロシア機が空爆を行ったと発表しましたがロシアは関与を否定しました。
民間人60人の死亡が確認されました。空爆されたのは病院などで、10回以上にわたって爆撃があったと報道されました。
6月8日 アレッポ近郊空爆
またもアレッポ近郊の町で、アサド政権による空爆があり、少なくとも15人の民間人が死亡しました。
反政府に対する攻撃でした。病院付近への攻撃が行われたとされ、医療従事者にも被害が及びました。反体制派が支配する地域への、アサド政権の攻撃は激化しています。
6月10日 ダラヤ空爆
ダマスカス郊外の町ダラヤでも空爆が行われました。
4年ぶりの支援物資が国連から届けられたわずか数時間後に、アサド政権による空爆が行われたとされ、アメリカとフランスは非難。物資が届けられて、住民らが食料を分け合う中での空爆でした。
ダラヤにはアサド政権の攻撃を耐えうるテロリストが潜んでいるとされ、さらにはヌスラ戦線も潜伏していた状態。そんな中での国連の支援物資援助で、これらの物資がテロリストに渡るのを懸念しての空爆だと考えられています。
6月16日 ロシア軍による反体制派空爆
6月16日、今度はロシア機がシリア南部で空爆を行ったとの報道がされました。
ISISの掃討作戦を展開している反体制派、に対する空爆でした。
6月半ば以降 アレッポ周辺地域
アレッポ周辺では戦闘が激化しています。アレッポ北方では、IS対反政府軍の戦闘の末、ISが一部地域から撤退したと発表されました。
アレッポ北方ではロシア機による空爆が未だ続いています。
その一方でアレッポ東ではISがクルド人勢力を撃退したと伝えられました。クルド人勢力は有志空軍による支援を受けていますが、ISは自爆車による攻撃を仕掛け、それにより攻防は膠着しています。
終わらない空爆におびえて暮らす日々
停戦協定はほぼ崩壊状態と言えるでしょう。このように、日々の空爆におびえて暮らしています。ISに支配されている地域では加えて処刑の恐怖もあります。
現在、アサド政権、ロシア、アメリカなどの戦闘により、爆撃により命を落とす民間人はあとを絶ちませんが、ISの支配地域はじわじわと減少しつつあります。しかしISは撤退時にはその地域のいたるところに爆発物を設置するなど、それらの除去は容易ではありません。
戦闘員として訓練された少年がいた場合など、彼らもまた戦争の被害者なので心のケアなど、考えなければならない問題は多く残されています。
国外で生活する難民の希望
国外に逃亡して生活しているシリア難民の多くは、シリアに戻りたいと願っているそうです。ヨーロッパで生活したくてヨーロッパに亡命しているわけではないのです。
シリアはもともとは豊かな国だったのです。
しかし、すべてのシリア人はもう家族のだれかを誰かに殺されている状態であるという悲惨な状況です。
元々は豊かで生活水準も高い国であったため、「普通のひと」が戦争によって難民になってしまったのです。国外で生活している難民の多くは一見普通に生活しているように見えて、何に困っているのか大変さが伝わりにくいそうです。
しかし自分の国ではない海外で生活しなければいけないという現実、いつ仕事を失うかという不安と常に背中合わせで生活しているという苦労があるのです。就労ビザの取得が非常に困難なので、しかし生活のために仕方なく労働許可がなくても働かなくてはいけない。
シリア国内の難民とはまた違う苦労を、抱えています。
日本で報道されていないこと
日本で報道されるのはほとんど大規模な空爆のみです。しかし、現地の報道やISの発表を紐解くと、日本での報道以外にも、常に戦闘や爆発物による攻撃が行われており、多くのロシア人兵士や民間人の死傷者が出ています。
一方ヨルダン・シリア国境ではIS自爆車によりヨルダン兵が多数死傷し、ヨルダンとISの対立がさらに深まっています。
このように、現地メディアなども参照すると、毎日戦闘が繰り返されていることがわかります。
今後の動き
今後もまだ進行中の問題です。私たちにできることは、報道の中から正しい情報を見つけ、知ることくらいしかありません。現地に行って助けることが出来る日本人がいるでしょうか?
アレッポで生産されている石鹸がいい例ですが、シリアが産業によって経済的に自立することはとても重要です。それくらいしか私たち日本人が出来ることしか現在はありません。
今後の動きにより、また追記していく予定です。
参考⇒シリアの内戦、難民問題【1ページでわかりやすく解説】内戦の原因から現在(2016.3)の状況まで