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昭和の大事件

あさま山荘事件【わかりやすく説明】

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平成生まれの人も一度は聞いたことがあるかもしれません、「あさま山荘事件」ですが、どのような出来事だったのか、知っていますか?

1972年に起きたこの事件を一言で表せば、「"連合赤軍"が人質をとり長野県軽井沢にある浅間山荘という保養所に立てこもった事件」です。

生々しい経過がテレビで生中継されたり、219時間という長時間の人質監禁ということもあり、日本国中が息を飲んで経過を見守った昭和を代表する大事件だったのです。

わかりやすく、しかも詳しく「浅間山荘事件」についてみていきたいと思います。

事件の現場となった浅間山荘

書籍化、映像化も多くされており、多くの人の関心を集める事件となりました。

浅間山荘事件の概要-ここだけ読むととりあえずわかる-

連合赤軍の誕生

浅間山荘事件で人質をとり立てこもったのは"連合赤軍"と呼ばれる人たちでした。

今の私たちからしたら到底考えにくいものかもしれませんが当時は「自分たちの力(武力)で日本や世界中を自分たちの考える良い国にしなければならない」と立ち上がるグループがいくつかありました。

その中の"赤軍派"は活動するためには資金がいるということで金融機関を強盗し資金力がありました

またあるグループの"革命左派"は鉄砲店の襲撃により武器は調達できていました

お互いの利害が一致して結成されたのが"連合赤軍"です。

ちなみに連合赤軍は1971~1972年に活動した日本のテロ組織であり、連合赤軍は毛沢東主義という人民戦争理論(プロの正規軍と人民大衆が有機的に結合することが人民戦争論の核心である)というを掲げていました。

連合赤軍内部での粛清と、警察の捜査網

同じグループ内でも思想の違いなどから"粛清"と称して暴力や殺人がたびたび行われるようになりました。

金融機関強盗や鉄砲店襲撃等の凶暴な犯行を繰り返していた彼らは、警察の捜査網から逃れるために山中を基地にしていました。

銃で殲滅戦を行うための戦士を育てるべく活動していた連合赤軍は、組織内部で思想の違うもの、言う通りにならないものへの処罰として精神的に追い詰め人格を崩壊させたり、最終的には殺害して死者は12名に及び組織の内部崩壊が進みました。

これらの山中での事件を"山岳ベース事件"と呼びます。しかしこの頃はまだ基地内での殺人は明るみに出ておらず、実際に山岳ベース事件の全貌が明らかになったのは、あさま山荘事件の後になります。

警察の捜査が山岳ベースにも及ぼうとしたときに、ベースを逃れ長野県にある浅間山荘に逃れてそこで起こった人質立てこもり事件が「あさま山荘事件」です。

なぜ浅間山荘に立てこもったのか

連合赤軍は長野県に隣接している群馬の山中を基地としていましたが、警察の捜査が近くまで及んでいることをラジオ等で知り、長野県に逃げ込むことにしました。

警察の捜査網が長野県にはまだ及んでいないと考えられていたためです。

当初29人いた連合赤軍のうち12人は前述の山岳ベース事件で死亡しました。長野県への逃亡中に残りの17人のうち12人は警察の包囲網により逮捕されました。

残りの5人があさま山荘事件に直接関わる5人になります。

はじめは軽井沢の「さつき山荘」という無人の山荘に侵入し食料を見つけ食べていましたが警察の捜査が近くまで来ていることに気が付き、脱走をはかります。

その中でたまたま侵入したのが「浅間山荘」でありここが立てこもり場所に選ばれたのは偶然でした。浅間山荘には山荘管理人の妻がいるだけで、ほかに人はいませんでした。

5人は管理人の妻を人質とし、ここには十分な食料もあったためしばらく立てこもることを決意しました。

5人の主張・要求

連合赤軍の本来の目的は、「ベトナム戦争に日本が加担しアジア全体の戦争になり、いずれ世界を巻き込んでの世界大戦に発展してしまうことを、我々が武装闘争をしてでも食い止めなければならない」というものでした。

しかし実際立てこもっている最中に5人は、警察からの呼びかけには一切応答せず、5人からの要求も何もありませんでした

このため警察は人質の安否も定かではない状態で、慎重な対応をせざるを得なくなり、事件の解決に時間がかかったとも言われています。

事件の収束

5人の親族、管理人の妻の親族などの呼びかけが日々行われましたが、犯人の応答はなく膠着状態でした。

立てこもり開始から数日たっても犯人の主張・要求は何もなく、警察側から政治的主張をするように、と呼びかけましたがそれでも応答はありませんでした。

「黙って抵抗していくことが我々の主張となる」

とメンバーの一人は主張しました。

立てこもりを続ける中で、立てこもりメンバーが近づいてきた民間人を狙撃、死亡させるという事件が起こりました。それからも警察官狙撃、警察官が重傷を負うという事件もありました。

警察側も山荘に築かれたバリケードを徐々に崩して犯人が立てこもる部屋に近づいていきました。その間も激しい銃による抵抗、乱射等で多くの被害者が出ました。重傷を負った警察関係者は15名にのぼりました。

立てこもっていたベッドルームの壁に穴をあけ28名の機動隊員が突入、犯人5人が全員逮捕され、人質女性も無事救出され、事件は収束しました。

2月19日に立てこもりが始まり、2月28日に人質解放、犯人逮捕となりました。

以上が簡単にまとめた「あさま山荘事件」の概要です。

 

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あさま山荘事件-もっと詳しく-

あさま山荘事件の事件経過は当時NHKで10時間以上も生中継され、犯人逮捕時には民放各社も含めると89.7%の視聴率に達しました。

それだけ日本国民の関心を集め、注目された世紀の大事件でした。ここからは、そんなあさま山荘事件の深い部分を掘り下げてみたいと思います。

あさま山荘事件により明らかになった山岳ベース事件

あさま山荘事件により、一般に知られるようになった山岳ベース事件は言わば「リンチ殺人事件」であり、その凄惨さに日本国民は衝撃を受けることになりました。

「共産主義化」のために「統括(革命戦士になろうとするため決意を確立すること)」を、と称してリンチ殺人が行われていました

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「共産主義化」という当時の連合赤軍のメンバーも理解しきれない言葉の独り歩き、自分がやらなければ自分も殺されるという同調圧力により人が人を殺すことになったのではないか、と後日関係者が著書で記しています。

生存者による手記でも、「共産主義化」や「統括」の意味をわかっていなかったという告白がいくつもあります。

山岳ベース事件で死亡したのは12名の若者

のちに逮捕されたメンバーからの自供等で発覚した山岳ベース事件ですが、亡くなった12名は全員当時20代の若者で、中には妊娠している女性も。

殺害されたあとは全員地中に埋められていました。

仲間を殺害する理由

スパイや脱走者は処刑するべきではないか、との考えから次々と仲間内で殺人が行われました。

脱走するのではないかと疑っている本人自体が「逃げたい」と思っていた可能性もあり、それこそが負の連鎖を起こし、互いに疑心暗鬼になっている状態であったとも言えます。

山岳ベース事件からあさま山荘事件に繋がる連合赤軍の動きをより詳しく知りたい人はこちらの漫画を強くおすすめします。同調圧力がどのようにして生まれるのか、自分自身で極限の状態を疑似体験できる漫画です。

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あさま山荘事件の犯人のその後

5人の実行犯の事件のその後はどのようになっているのかについてまとめました。

坂口弘(さかぐちひろし)

連合赤軍の幹部だったが「統括」により死者が続出していることについては疑問を持っており、統括をやめようとしないメンバー森恒夫の殺害を思い立ったりすることもあった。

逮捕後は武装闘争の必要性については疑問視し始め、勾留中の態度は優良であった。

殺人件数は16件、傷害致死1件、死刑が確定しているが、共犯者である坂東國男が国外逃亡しており裁判が終了していないため、まだ死刑執行がされておらず2018年現在存命

獄中では短歌を作って朝日新聞に投稿したり、事件の記録として「あさま山荘1972上・下・続」を著した。

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坂東國男(ばんどうくにお)

事件のあと逮捕後40日間黙秘を続けたが、事件中に父親が自殺しその位牌を見せられてからは、山岳ベース事件やあさま山荘事件についての供述を始めるようになった。

1975年にクアラルンプール事件(日本赤軍がマレーシアにあるアメリカ大使館・スウェーデン大使館を占拠し職員を人質にとり、それと引きかえに坂東や他の収監者の釈放を要求した事件)が起きます。

それにより坂東は釈放され、国外脱出。

現在も指名手配中、さらに国際手配もされている。中東に拠点をおいているとされるが、詳しい消息は不明。

吉野雅邦(よしのまさくに)

あさま山荘事件以前には鉄砲店襲撃事件の実行犯の一人。

山岳ベース事件では妻が妊娠した状態で殺害されている。

あさま山荘事件では両親が吉野に呼びかけするために訪れたが、母の声を聞いていることができず母が乗る装甲車に発砲した。

妻の遺体写真を見せられても山岳ベース事件について一切供述しなかったが、警察官が「お彼岸だから親の元に遺体を返してやれ」という旨の発言により自供を開始した。

あさま山荘事件においては坂口と坂東の指示に従うことが多かったことから従犯とされ、死刑は免れ無期懲役が確定。1983年から現在に至るまで千葉刑務所で服役中

映画化され吉野の役を演じることになった役者からの手紙の返答が映画の関連書籍に執筆したそのままの文章で掲載された。

加藤倫教(かとうみちのり)

山岳ベース事件で兄が殺され、弟の加藤元久と逃げ出そうとしたがうまくいかず、逃亡の最中にあさま山荘に立てこもり、あさま山荘事件の実行犯となる。

事件当時は報道で実名は伏せられていた。

1983年に懲役13年の刑が確定し三重刑務所で服役し1987年には仮釈放された。

実家は農業を営んでおり、現在は農家を継いでいる。同時に自然環境や野生動物の保護活動にも積極的であり、実績もある

加藤元久(かとうもとひさ)

あさま山荘事件当時は16歳であり、少年法により実名報道はなされなかった。

保護処分とされ、現在の詳細は唯一不明の人物となっている。

カップヌードルが大ヒットするきっかけに

あさま山荘事件はテレビで中継され日本国民全体が注目していましたが、そこにカップヌードルを食べる機動隊員の姿が放送されました。

事件当時の長野県の気温は氷点下で支給されるお弁当も凍ってしまうほどに寒く、そこで、お湯を入れればお腹を温かく満たしてくれる日清食品のカップヌードルが重宝されたというわけです。

テレビにうつったカップヌードルは一躍話題になり、ヒット商品になりました。

入口を破壊した鉄球作戦

突入する経路の確保のためにクレーンで吊った鉄球で入口を破壊するというシーンが中継され、見ている人に衝撃を与えました。動画や写真で見たことのある人もいるかもしれません。

最近テレビで、実際に運転した人が出演しコメントを残していました。

以下Wikipediaより引用

警察側に重機、鉄球クレーンを提供した機材会社、また実際にクレーン車を操縦した民間協力者が実名で報じられている。以前は報復を警戒して、テレビ番組では当事者が否定していた。だが、警察の努力により連合赤軍及びそのシンパが報復活動に出ることが不可能となった(要するに連合赤軍が壊滅した)ため、この状況を以って、当事者が実名で現れても報復の心配がなくなったことが証明されたといわれる。

当初は機材の提供のみだと聞いており機材を提供したが、急遽運転されることになったとコメントしていました。

あさま山荘事件まとめ

昭和に起こった大事件といえば確実に名前があがるのがこの「あさま山荘事件」です。

名前は聞いたことがあってもどのような経緯で起こったのか知らない人もいたかもしれませんね。平成がもうすぐ終わるこの時期ですが、知っておきたい昭和のニュースの一つとしてまとめてみました。

興味がわいた人はぜひ関連書籍もおすすめします!

 

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