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【三億円事件わかりやすいまとめ、犯人・真相は?】未解決、謎は謎のまま…

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三億円事件とは、1968年の12月10日に東京都府中市で発生した、現金約3億円が強奪された窃盗事件のこと。

1975年12月10日に公訴時効が成立、1988年12月10日は民事時効成立し、未解決事件となる。戦後最大のミステリーと言われている。

 

これまで、小説やドラマ、映画など、三億円事件を題材にした作品が数多く作られており、事件当時リアルタイムで知らなくてもドラマや映画でこの事件の詳細を知ったという人は多い。

中でも話題になった作品のうちのひとつ、2000年にフジテレビで放送された
三億円事件~20世紀最後の謎~」はビートたけしが主演しており多くの人が関心を寄せた。

※原作は一橋文哉氏の著書でこちらはノンフィクションとして書かれ、ドラマのほうは少し脚色がある。

 

一番新しい映像化作品では、6月25日(土)夜9時からと、26日(日)夜9時からフジテレビで放送される、『モンタージュ~三億円事件奇譚~』がある。

参考:モンタージュ~三億円事件奇譚~

 

未だにこの事件について知りたいと思う人も多く、詳細は知らなくても言葉としては知っている人がほとんどである、とても大きな事件であった。

興味深く色々な著書を読んだので時系列で事実を追ってまとめてみた。

 

三億円事件とは

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事件の概要

1968年東京都府中市。

東京芝浦電気(現在の東芝)の従業員のボーナスが積まれた日本信託銀行の現金輸送車が、府中刑務所北の路上で白バイに乗った偽の白バイ隊員によって止められた。

偽の白バイ警察官は、爆発物を発見したといい隠し持っていた発煙筒に点火。

『爆発するから早く逃げろ!』の声で乗っていた銀行員を避難させ、偽白バイ警察官はそのまま輸送車に乗り込み運転し、白バイはその場に残したまま逃走。

金額は2億9430万7500円で、約3億円。

 

1968年当時、現金3億円というのは窃盗事件としては最大、それまでの最高金額は1965年に青森で発生した3100万円強奪事件。

とにかく大きな金額であり当時の貨幣価値においては約10億円であったということ、暴力もなくあまりにもスムーズな窃盗であったことなど、日本の犯罪史に名を残す大事件となった。

 

奪われた現金3億円は、保険会社の補填を受け、東芝従業員には滞りなくボーナスが支給された。

そしてその保険会社もまた国外の保険会社と再保険を締結していたため、損害の補填を受けることが出来、実質金銭的な被害を被った者は国内にはいなかった。

 

警視庁の捜査上で容疑者リストに上がったものは、11万8000人。

捜査費用は7年間でおよそ9億9000万円にのぼった。

 

しかし、1975年12月10日公訴時効が成立、1988年12月10日には民事時効が成立した。

 

事件が起こる前の経緯

12月10日の強奪当日、あまりにもあっさりと現金輸送車が奪われたのには、事前にいくつかの伏線が張られていたからである。

 

伏線1 多摩農協への脅迫事件

事件発生の数ヶ月前である1968年4月25日から8月22日までの間に多摩農協に対して9回の金銭を要求する脅迫や爆弾予告などがあった。

内容は「現金150万円を持ってこなければ皆殺しにする」というもの。

職員が支持された場所に向かうとそこには白い封筒がおいてあった。中には、ルートを指定する紙が入っており、現金の受け渡し方法も書かれていた。通報し、府中署員とともにルートを走るも、犯人が現れることはなかった。

伏線2 日本信託国分寺支店長宅の爆破予告

事件4日前の12月6日、日本信託国分寺支店長の自宅に脅迫状が届いた。

差出人は『高木 門』とあった。実在する歌手の名前であった。

脅迫状の内容は以下の通りで、文章はすべて雑誌から切り取って貼り付けたもので構成されていた。

7日午後5時半までに、国分寺駅北口公衆電話ボックス付近に300万円を女子行員に持たせて立っていなければ、支店長宅を爆破する

この爆破予告を受け警察は指定の場所に50名ほどの警官を配置し、女性の警察官が女性行員を装って指定場所に向かったが、午後5時半になっても犯人は現れなかった。

爆発物を用いた脅迫を繰り返すことで、のちの12月10日の犯行をスムーズに行う狙いがあったためとされ、実際300万円を奪うつもりで脅迫したのではないとされる。

事件当日のあらまし

いくつかの脅迫による伏線が張られたうえで12月10日、3億円事件が起こった。

この日は土砂降りの雨だった。

 

午前9時

東芝府中工場の従業員に支給するボーナスを積んだ現金輸送車が、日本信託銀行 国分寺支店から、東芝府中工場に向かっていた。車に積んでいたのはジュラルミン製のケース3つ。この中に現金3億円が入っていたとされる。

現金輸送車は39年式セドリックの黒。

運転手1人と、日本信託の行員3名が乗っていた。

 

工場までの距離は4キロで、2通りのルートが決められており、どちらのルートで行くかは当日の朝に決めていた。片方のルートが工事中であったため、もう片方のルートに決まった。

 

9時20分

輸送車が府中刑務所北側の路上に差し掛かったあたりで、一台の白バイが近づく。

白バイ隊員は車の前方にまわり、現金輸送車を止めた。

運転手は窓をあけて、どうしたのかと白バイ隊員に尋ねると、

「日本信託の巣鴨支店長の自宅が爆破された。この車にもダイナマイトが仕掛けてあるとの連絡があったので調べさせてくれ」

と答えた。

 

運転手は「昨日車の鍵をちゃんとかけたのであるはずありません」と答えたが、白バイ隊員は「車の下かもしれない」といって車体の下周辺を調べ始めた。

『あったぞ!ダイナマイトだ!』『爆発するぞ!早く逃げろ!』と迫真の演技で切羽詰まった様子を見せた。

この日以前にも実際爆破予告が届いていたこともあり、信用し、車に乗っていた4人はキーをさしたまま車から降りてしまった。

白バイ隊員は車の下にもぐりこみ点検をするふりをして隠し持っていた発煙筒に点火すると次第に煙が巻き上がり、あたかも爆発物があるかのようであった。

 

白バイ隊員は運転席に乗り込んだが、このとき行員は爆発物から遠ざけてくれようとしている隊員を「勇敢な人だ」と思ったという。その様子を4人は退避し物陰から見ていたが、そのまま輸送車を運転して犯人は逃走した。検問から逃走までわずか2分。

 

煙をあげていたのがただの発煙筒であったということと、白バイは本来ホンダ製であるのに残されていた白バイがヤマハ製で偽物であったことがすぐわかったため、「爆発騒ぎのため検問にあった」という内容で現金が持ち去られたことを支店に連絡した。

現場の4人は混乱していたため、冷静な判断が出来ず、即座に通報することが出来なかった。

連絡をうけた支店次長が検問についての問い合わせを警察に行った時刻が9時31分。すでに10分以上経過していた。

また、現場の近くにいた通行人や、付近の府中刑務所の職員からも通報があり、警察が事件と認識したのが9時35分。この通報の遅れにより、犯人を遠くに逃がしてしまった。

その後警視庁は事件発生から14分も経ってから都内全域に緊急配備を発令した。パトカー631台、警察官約9500人、機動隊なども含めて計約13000人体制の大包囲網が敷かれた。

犯人の特徴は年齢18~25、6歳。身長165~167cm。革のジャンパーに白いヘルメット、奪われた輸送車はセドリック39年型、ナンバーは多摩5-は-6648。車内に現金入りジュラルミン製トランク3個あり。

主要道路は封鎖され、主にセドリックや荷物を積んだバン・トラックが止められて検問が行われた。そのため道路は混乱し渋滞。このときまだ警察は、現金輸送車は乗り捨てられていたことを知らない。午前10時18分、乗り捨てられたセドリックが見つかった。

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複数の遺留品

この事件では120以上もの遺留品が残されていた。そのため、すぐに犯人逮捕に結びつくだろうと捜査を楽観視していたが、大量生産・大量消費されていたものばかりであったため、決定的な手掛かりになるものはなかった。

遺留品の発見現場は事件発生現場のほかに、3か所の合計4か所であった。

第一現場…事件発生現場 府中市栄町 刑務所裏

●偽白バイ(ヤマハスポーツ350R1)

偽白バイは青い車体を白く塗装したもの。メガホンやクッキーの缶を車体に取り付けて白バイに見せかけた素人の細工だった。

●発煙筒の燃えカス

大量生産されているため犯人特定の材料にはならなかった。

●新聞紙片

メガホンに付着していた新聞紙で、当初は配達された地域が特定できるとその方面での捜査に力を入れたが、販売所の特定に時間がかかりその間に住所録は処分されており、重要な手がかりにはならなかった。

●ハンチング帽

引きずっていたカバーの中から発見されたので犯人のものと思われたが、鑑定に出す前に刑事が交互にかぶってしまい、汗を検出して持ち主の血液型を特定するなどの捜査が出来なくなるという致命的なミス。

 

第二現場…国分寺市 現金輸送車乗り捨て現場

●現金輸送車(セドリック)

クヌギ林にて乗り捨てられていたセドリックを発見。事件発生前に、この現場で事件前に『紺のカローラ』が目撃されており、事件後は『紺のカローラ』は見当たらなかった。この場所でセドリックから紺のカローラに乗り換えて逃走したと思われる。

第三現場…府中市栄町 空き地

緑のカローラ

11月30日から12月1日の間に盗難されたもの。犯行当日に現金輸送車がどのルートを行くか追って確認するために用意したものと思われる。緑のカローラをこの場所で乗り捨てて白バイに乗り換え、現金輸送車に近づいた。

目撃証言①『9時10分頃エンジンをかけたままのオートバイがシートをかぶせたまま放置してあり、10時過ぎに再び見たときにはワイパーが作動したままの緑のカローラが停めてあった』

目撃証言②『オートバイは朝の6時ころから停めてあった』

●紺のレイントート

警察官の恰好をしていることを隠すために用意したと思われる。事件発生の30分前にはこのレインコートを着た男が銀行近くの空き地で目撃されている。レインコートからは決定的な手掛かりはつかめなかった。

第四現場…小金井市本町 団地駐車場

この現場は事件から4ヶ月後に判明。

紺のカローラ

第二現場で事件前に目撃されていた紺のカローラ。自衛隊の航空写真により確認すると、この車は事件の翌日からここに停められていたことがわかっている。シートカバーで覆われていたため発見が遅れた。そのシートカバーも盗難品であった。

●ジュラルミンケース

空のケース3個。泥が付着しており、その泥を科学捜査研究所で調べた結果第二現場の土壌と酷似していた。

●ホンダドリーム

本来の白バイの車種。犯人は当初これを改造して白バイに見立てようとしたが、これも盗難車であり元の持ち主によるともともと不具合があった。犯人はその不具合に気づき、計画を変更し別のオートバイを利用したと思われる。

●他に3台の盗難車

車内に残された物から犯人像を推理したがどれも決定的な手掛かりには至らなかった。

 

遺留品や目撃証言から推測される犯人の動き

①第三現場に偽白バイを持ち込みシートをかぶせて待機

②別の場所に停めていた緑のカローラに乗り現金輸送車を尾行しルートを確認し、第三現場に戻る

③第三現場に停めていた白バイに乗り換えて現金輸送車の前に現れる(このとき焦っていたためかかぶせていたシートを引きずりながら走行する格好だった)

④事件発生

現金輸送車(セドリック)で猛スピードで逃走中、9時29分頃、路上の3人の主婦に泥水をかけている。そのうちの一人は9時32分にナンバーを通報。

⑥9時32分頃、親子が紺のカローラとぶつかりそうになる。つまり、⑤と⑥の間に紺のカローラにジュラルミンケースを積み乗り換えている。このとき、運転席には無帽の長髪の男、助手席には誰もいなかったとの証言。

⑦第四現場の小金井市団地駐車場で空のトランクと紺のカローラを残し逃走。それ以降の動きは不明。逃走中に多くの人に目撃されるも、大雨の影響で顔をはっきり見た人はいなかった。

 

少年S

事件の5日後に自殺した少年Sは「立川グループ」という、車の窃盗を繰り返すグループに所属しておりリーダー格だった。

父親が白バイ隊員であり白バイを見慣れていると思われたこと、車の窃盗手口が事件のものと同じであること、車やバイクの運転が上手いこと、事件前に立川市のスーパーを発煙筒で襲撃し現金を窃盗するという事件を起こしていること、仲間と「現金輸送車を襲おう」という話をしていたことなどから、容疑者として浮上した。

12月15日恐喝容疑で逮捕状をとっていた刑事が家を訪れたとき、母親はSは不在であると言い刑事たちは引き上げたが、その晩Sは『イタチ駆除のために天井裏に保管しておいた青酸カリ』を飲んで亡くなった。

青酸カリを包んであった新聞紙からSの指紋は検出されず父親の指紋のみが検出。自殺だといわれてはいるが真相は闇の中。

事件から半年後、敏腕で知られる平塚刑事が捜査に参加。一時浮上していた複数犯説を否定、単独犯説を支持し、それに沿うと脅迫状の切手に付着していた唾液の血液型と、少年Sの血液型が異なることや、脅迫状が投函されたと思われる日にSが鑑別所に収監されていたことなどから、Sの犯人説は薄くなっていき、最終的には「シロ」との判断を下している。

 

モンタージュ写真

12月21日に警察が公開したが、事件後に容疑者として浮上した上記の人物(少年S)に似ているというだけの理由で全く別の人物の写真をそのまま無断使用したという代物。1974年に正式に破棄されているが、その後も書籍等ではこのモンタージュ写真が掲載されることもあった。

 

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12月12日…事件の二日後少年Sが容疑者として浮上。

12月15日…少年Sが死亡

12月16日…通夜の席で行員が少年Sと面通しし、実行犯と似ていると4人が証言した

12月21日…モンタージュ作成、公開

モンタージュ写真の少年の家族は抗議したが、捜査協力のためならと抗議を撤回した。しかしその後の捜査で、少年Sが真犯人である可能性が低くなってきても、警察のずさんな捜査が非難される可能性があるためモンタージュ写真の撤回はしなかった。

 

容疑者として浮上した多くの人物

目撃情報や、脅迫状や遺留品から、犯人像が推測され、多くの容疑者が浮上したが、そのどれも決定的な証拠はなく、解決には至らなかった。単独犯か複数犯かもわからないまま。

モンタージュ写真と似ていることから容疑者として浮上した一人の男性は、毎日新聞による冤罪報道された。事件から1年後にこの事件とは別件で逮捕。しかし逮捕後事件当日のアリバイが証明された。実名報道され職を失い一家離散、その後もマスコミの執拗な取材や偏見の目に苦しみ2008年自殺した。

 

その後…

謎が解明されることのないまま、時効を迎える。

時効を迎えたあと「実は三億円事件の犯人は自分です」と告白する人物が複数名登場する。

どの人物も本物の犯人ではなかった。

というのも、事件時、通常通り発煙筒が点火しなかったが、犯人は通常とは異なる手法で発炎筒を点火させていることが遺留品の状況証拠から判明している。

またジュラルミンケースには現金とボーナス袋のほかにある特殊な「モノ」が入っていたという。

発煙筒をどうやって点火させたのか、ジュラルミンケースに入っていた特殊なモノとは何か、二つの情報は一般公開されておらず、捜査関係者と真犯人しか知らない。

それを答えることができた『自称真犯人』はまだ誰も居ない。

 

 

 

 

 

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