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福田和子の生い立ちと哀しい生涯、寺島しのぶ熱演【松山ホステス殺害事件】

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松山ホステス殺人事件とは

事件の概要

1982年8月19日、愛媛県の松山市のマンションで、当時31歳の女性(同僚のホステス)が殺害されるという事件がおきた。加害者の名前は福田和子。実話がもとになりドラマ化されたり、ドキュメンタリー番組で特集されたりもするので、有名なこの事件。

時効成立まであと21日というところで逮捕され幕引きとなった。福田和子は1997年7月29日に逮捕されるまでの15年間、逃亡生活を送っていたということになる。

福田和子は殺害した女性を夫の協力で松山市の山中に遺棄し、マンションの家財道具一式を夫と一緒に運び去った。その家財一式は、松山市内に和子が借りたというアパートに運び込んでいたようで、それを目撃していた多くの人が証言し、松山東警察署は強盗殺人事件として捜査を開始した。

後に夫は死体遺棄罪で逮捕され、和子も15年の逃亡の末、逮捕された。


2016年3月17日寺島しのぶ主演のドラマが放送される

2002年に大竹しのぶさんが和子を演じたドラマが放送された。今回寺島しのぶさんが和子を演じる。まだ被害者の遺族がいる。実在している事件の加害者ということで演じるまでなかなか踏ん切りがつかなかったそう。このドラマで事件の全貌を知る人もいるかもしれない。

和子がどのような壮絶な人生だったのだろうか。生い立ちから、事件発生まで詳しく見ていきます。

福田和子の逃亡生活が始まるまで

生まれてから事件前まで

1948年、愛媛県松山市に生まれる。幼い頃に両親は離婚し、和子は母親とともに暮らした。母親は売春宿を経営しており、幼い頃から心に傷を負わざるを得ない出来事が多々あったと思われる。

高校の頃交際していた同級生が事故死するという出来事があり自暴自棄になり、3年1学期で高校を退学。

18歳の頃交際していた男と国税局長の自宅に強盗に入るという罪で松山刑務所に服役していた。服役中に、同じ刑務所に服役していた暴力団員に性的暴行を受けるという被害にあっていた。この暴力団員は看守を金で買収し、刑務所内で自由な振舞いが出来るような状態にあり、さらには看守から女子房の鍵を借りて忍び込める状況にあったという。さらに移監先の高山刑務所でも同じような被害にあっており、心の傷となった。

このとき犯行に及んだ団員はもちろん、買収に応じた看守も厳しく追及され、二名が自殺した。

この頃のトラウマがもとで、後日殺人事件を犯した際に絶対に刑務所に入りたくない、という強い思いがあり、それが逃亡をはじめるきっかけになったという説もある。

出所から事件を起こすまで

和子は出所後は松山市内のスナックで働いていた。生活は苦しく借金を重ねていたが、このとき親しくしていた男性がおり、その後も交際は続いた。借金はかさみ、自分の名前ではもう借りられなくなるほどになり、知人の名前を借りて借金をしているような状態であった。

返済をしていても利息のみしか返せていないような状況で、生活は苦しいままであった。

昭和57年2月から新しい店で働くようになり、この店で、ホステス殺人事件の被害者である安岡厚子と知り合った。

安岡厚子はその店でナンバーワンのホステスだった。和子は安岡さんの自宅を訪問し、絞殺した。

動機については様々な説がある。プライドが高かった和子にとって、ナンバーワンである安岡さんが目障りだったという嫉妬説。このとき和子は夫とは別に愛人がおり、その愛人と暮らすためのアパートが質素だったために良い家財を揃えたいという強盗目的説がある。安岡さんが質の良い家財を所持していたためである。

本当のところは和子にしかわからないが、過去に強盗で逮捕された経歴もあるため、家財はもともと盗む予定であったと考えられている。

事件の直後から逃亡開始まで

夫には

「あんた、私やけど、今から車で松山まで来てほしいんやけど。今晩知り合いの女の子の夜逃げを手伝ってあげたいんよ。もうすぐ刑務所から出てくる男から逃げたいんやって。今から。そう、頼んだよ。」

嘘をついて呼び出した。

「これは大っぴらには出来ん引っ越しやけんね。・・・あんた、今から私が何言うてもびっくりしないでよ。

うちな。ここで女の人を殺したんよ。仕方なかったんよ。女のほうがいきなりナイフ持ってとびかかってきて、無我夢中でもみ合っているうちに気が付いたら死んどった。」

和子は正当防衛を装った。

「私は殺す気なんてなかったんよ。自分が殺されると思って必死やったんやけん。なぁ・・・私を助けて」

夫は

「遺体を隠してもいつかはばれる。自首したほうがいい」

と助言した。

それでも和子は

「子供もおるけん。私が捕まったら困るやろ?私は捕まらんよ。捕まるわけにはいかんのよ」

 

夫は仕方なく同意し、遺体を運ぶのを手伝ったという。運ぶためのトラックは親戚に「夜逃げを手伝うから」という嘘をついて借りて、ほとんどの家財や衣類を夫に手伝わせ運び出したのだった。

運んだ先は、愛人と密会するためのアパート。愛人に、豪華な家財の用意を示すために、不倫の事実を知らない夫に手伝わせた。

そして遺体は市街地から少し離れた山中に埋めた。

事件の翌日には親戚夫婦をだまし「夜逃げした子にお金を送りたい」と嘘をつき、盗んだ通帳から現金を引き出させた。

事件が発覚する前の出来事である。

福田和子、逮捕までの15年間

15年もの逃亡生活のはじまり

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安岡さんが働いていた店に来なくなったことから、事件から4日後の8月23日、警察は捜査を開始した。

安岡さんの自宅を捜査したところ、家財がなくなっていたため警察ははじめは単なる夜逃げだと考えていたが、マンションの大家が、家財を運び出してトラックに積み込むところを目撃していた。

トラックのナンバーも覚えていたため、すぐにどこのレンタカー業者なのかが判明し、トラックを借りてくれた親戚宅に警察からの連絡が入る。

翌日24日、親戚から「警察が来た」という知らせをうけた和子は、すぐにこちらにも調べが入るだろうと悟った。和子は勘がよく働いた。

すぐに警察からの電話。とっさに和子はこどものふりをして電話に応対した。

警察からの「お母さんはおる?」「どこにいった?」「いつ頃帰ってくる?」の質問。

和子はこどもの声で「松山にいると思う」「もうこっちに向かっているはずだ」などと答え、和子が松山にいると思わせた。

和子には子どもがいたが、平静を装い普段通りに生活していたという。夫しか事件のことは知らなかった。夫が帰宅するのを待ち、夫には「親戚のところへ用事がある」と嘘を言い出かけた。

偽名を使っての逃亡生活の始まりであった。タクシーと電車を使いフェリー乗り場までいき、大阪へ。その後はあてもなく列車に乗り出発したのだが石川行きの列車だったのでそのまま石川県へと逃亡した。

その頃夫は重要参考人として警察へ。盗んだ家財を運び込んだ和子の愛人と密会するためのアパートも、契約者名は和子の偽名であった。

夫の逮捕、金沢での和子の生活

和子は石川県金沢市に逃亡し、スナックで偽名を使って働き始める。その頃夫は警察での取り調べで死体遺棄を自供し、緊急逮捕された。

和子はスナックのママには大変世話になることになる。ママの厚意でアパートを紹介してもらったり、ママの自宅のシャワーを使わせてもらったり、親身に世話を焼いてくれた。しかし和子は全国指名手配され、和子がその事実を知るとすぐに東京の整形外科で整形手術を受けた。その間働き始めたばかりのスナックは無断欠勤という形だったが、夫のDVから逃れたいという嘘をつき再び店に戻ったのであった。

その後も石川県のスナックで働き続けた。和子はもともとホステスとして働いていたため接客も上手かった。客もついてきた。顔を変えてきた和子の接客はさらに良くなり、上手になった。

和子は警察の捜査をかく乱するために、わざわざ京都まで行き知人や愛人に電話をしていた。一番はじめの松山の愛人に和子は京都から電話をかけた。そこでの会話は録音されていた。愛人は捜査協力をかって出ていた。その録音記録は後日公開されている。

「もしもし、はつ美です。もう忘れたでしょうが。私のことは」

「そうや。福田和子なんて知らんけど。そんな女」

「高井はつ美だけ?もう切るよ。本当。」

「なんで?」

「危ない危ない」

「何が危ない?」

「逆探知されたら困る。」

警察はこのとき聞こえたコインの落ちる音で10円で電話出来る圏内を捜査した。大阪、京都、兵庫など。しかし和子は金沢に暮らしており、金沢まで警察の捜査が及ぶことはなかった。

金沢のスナックで出会った一人の客(Aさん)と親しくなり同棲を始めることとなる。和子はその後も常に男性の庇護下にいることで逮捕までの15年間うまく身を隠していく。和子は男に取り入る技術に長けていた。

Aさんとは同棲するまでの仲になったが、Bさんという別の客とも親しくなった。Aとは同棲を解消し、家財ごとBに借りさせたアパートに引っ越してしまい、Bから生活費をもらい生活するまでになった。このBは後日ドキュメンタリーやドラマで多くの人が知ることになる石川県の老舗和菓子店の若旦那であった。Bには妻も子もいた。和子は店を手伝いながら、和菓子屋に借りさせたアパートに暮らした。

前の男であるAは引き下がっておらず、関係修復を願い出る。和子に怒るどころか、和子なしでは生活できない、という…。和子はしばらく二重生活をしていたのだ。和菓子屋の若旦那はそれを承知していたが、1年以上の二重生活の末に、和子にたいして「関係をはっきりさせてくれ」と願い出て若旦那は和子と結婚するために妻と離婚。

和子は逃亡した石川県のこの地で、老舗和菓子屋の内縁の妻という地位におさまったのであった。もちろん偽名で、自分は京都の料亭の娘だと偽っていた。

明るく接客の上手い和子を、和菓子屋の家族は喜んだ。和子は評判がよく、店は大変繁盛したので、店を拡大、建て替えるというところまで盛り立てた。和子の存在はこの店にとってなくてはならない存在になっていった。

確認するが、和子は全国指名手配中である…。

家事もこなし、和菓子屋の両親の世話、町内の活動も積極的であった。しかし、前妻の息子と和子はうまくいかなかった。実の息子の存在が頭のどこかにあったのだろう。和子はなんと自宅に電話をかけて息子を話をしたのだった。和子は「愛媛県今治にいる」と息子に会いに石川からやってきた。待ち合わせは今治で。整形していたが息子は母だとわかり、和子はなんとそのまま息子を石川に連れて帰るのだった。

息子のことは「甥っ子」だと言った。和菓子店に住み込み出来るよう願い出た。和子は実の息子と一緒に暮らせるようになったのだ。息子を和菓子職人の見習いにするという思い付きも、大胆不敵である。実際、この期間は和子にとってしばしの平穏であったそうだ。

息子には「何かあったら逃げる」と伝えていた。和子は何があっても逃亡することを心に決めていたのだ。

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石川県での生活が終わるとき

若旦那は和子に正式にプロポーズするのだが身元を明かせない和子は拒否し続ける。この時点で若旦那や家族は和子を怪しみ始め、和子も次第にごまかすことが出来なくなってきていた。若旦那は全国指名手配されている福田和子という女がいることを知る。顔が似ているような気がして和子にたずねた。若旦那の前では華世という名前で生活していた。

「華世、おまえあの福田和子じゃないんやろ?」

「なにあほなこと言うとんの。世の中には似た顔の人が仰山いるんや。日本人だけでも1億いるんやから、1人や2人、同じような顔の人がいても何も不思議はないやろ?」

いつまでも結婚を拒み続ける和子に対して、家族はさらに不信感を募らせていた。甥っ子として連れてきた和子の息子の荷物を見てしまった親族。和子は京都の料亭の娘と偽っていたが、甥っ子(息子)の免許証に記載されていた住所が愛媛県松山市であった。

松山ホステス殺人事件の、松山市。

親族はそれに気が付き警察へと連絡をしたのであった。

その頃和子は近所の葬式の手伝いをしていたため店にはおらず公民館にいたのだった。炊き出しの最中に見慣れないスーツをきた男がいるのを和子は発見する。常に気を張っていたのだろう、すぐに和子を探している警察だと察して、着の身着のまま公民館にとめてあった自転車に乗り逃走する。

普段身に着けていた財布や貴重品は当然持っていない。しかし捕まってはいられないと間一髪逃走。このとき和子はサンダル履きのままだったそうだ。

なんとか小松市の知人宅にたどり着き、うまいこといってわずかな現金を借りることに成功する。動揺を悟られないように平然を装いながら。

このときの警察の調べてはじめて福田和子が整形をして逃亡していたということを知った。その後の指名手配写真は整形後の写真に差し替えられることとなった。

のちに若旦那とその家族は、自分達が気を許していた女が指名手配犯の福田和子だったと知り、愕然とした。

その後の和子の足どりと、逮捕前

石川県を出たあと和子は全国を転々としながら逃亡する。石川県での出来事を教訓にした和子は「同じ土地に三か月以上いたらいけない」と学び、全国規模で逃亡していた。

1988年から1996年の間、北は北海道から南は山口県まで、転々としていた。どこでどの時期に何をしていたのか詳細は公判でも明らかになっていない。小料理屋を転々として生計をたてていた時期があったという記述もあったり、大阪でホームレスをしていた時期もあったという。和子は各地で偽名を使い、その数は20にものぼった。

1988年の夏に死体遺棄事件での時効が成立した。死体遺棄事件では起訴できなくなり、残るは殺人事件の時効(15年)であった。

1996年、時効まであと1年という時期、和子は福井で暮らした。中村ゆき子と名乗り、化粧品の販売員を装っていた。時効も近づいていることもあり、日本で初めて目撃情報に100万円の懸賞金がかけられた。

福井県での生活は9ヶ月にもなり、長く生活している分和子は情報収集にもつとめた。しかしここであるおでん屋の常連となってしまう。おでん屋では中村れい子と名乗っていた。和子は人当たりがよく愛嬌がありすぐ人と打ち解けた。人を不快にさせない能力に長けていたのだろう。

時効まであと半年、和子はもう逃げ切れるとほぼ確信していたそうだ。

時効まで間もなくということもあり、テレビではワイドショーで福田和子の事件が改めて取り上げられていた。おでん屋にいたときにちょうど自分の事件について流れたときに、和子はこういった。

「わたし、福田和子に似てるでしょ。この前そういわれちゃった。頭にきちゃう。」

と。

警察からの情報公開により、テレビでは和子の録音された声やしゃべり方が公になっていた。それを見ていたおでん屋の女将が、「中村れい子」の声やしゃべり方がテレビで見る福田和子に似ていることに気が付き不信感を抱いた。同じく、おでん屋の常連も気が付いていた。

顔が似ていることを話のネタにしていたようだが、常連客も女将もその頃なんとなくれい子の正体が福田和子だと確信しつつあった。

福田和子、逮捕の前日

時効まであと2ヶ月となったとき、おでん屋の常連客は警察に通報した。

警察に指紋の採取を依頼された女将は承諾。

8月19日が和子の時効の日である。カレンダーに二重丸をつけてその日を待っていた。

1997年7月28日、和子はおでん屋を訪れた。女将と常連客は指紋を採取するためにビール瓶とコップを渡した。カラオケもあり、近くにあったマラカスも持たせ、和子の視線が外れたところでビール瓶を保管した。和子は珍しく泥酔した。このとき女将がマラカスも保管。

普段から和子は、飲み物を飲んだ際には指紋をふき取る癖があったという。これは逮捕後の取り調べの際に警察に指摘されてわかったそうだ。この日は油断していたのだろうか。捕まるはずがないとへんな自信があったためか。

和子は寝ていたが、ふと目が覚める。

「うちな。公開捜査してるアレに似てるって、最近よく言われるんよ。ねぇ、似てないよね!この鼻整形してるように見える?触ってみてよ!福田和子みたいに整形なんかしてないよ!」

そう騒いで暴れだした。和子は一度目の整形で入れていた鼻のシリコンを、逃亡生活中の何度かの整形で除去していた。整形しているとテレビで騒がれたからだろう。整形していないと主張できるようにぬかりなくやっていたのだったが…。

和子は帰り際女将に「疑ってるやろ」と話した。女将は

「疑ってへん。わたしはそんなこと考えてせぇへんし」

そういって和子を安心させた。ここで和子に不信がられたら逮捕の瞬間を逃してしまう。女将の名演技だ。

和子が帰ったあと、女将は採取した指紋を警察に届けた。

福田和子 逮捕の瞬間、1997年7月29日

和子は女将を信用していた。女将が通報などするはずがないと思っていた。和子は泊まっているホテルからまたおでん屋に向かった。

女将は警察から「福田和子の指紋と一致した」という連絡を受けた。そこで「女はいまいますか?」と警察がたずねた。

女将が「はい」と返事をする。

 

警察が店の周りを取り囲み、そのとき店にいた常連客は煙草を買いにいくふりをして外に出る。警察の姿を確認する。

和子がいったん帰ってからまたくる、と告げて外に出ようとした瞬間だった。

「ちょっと聞きたいことがある」と警察に任意同行を求められ、14年と344日の長い逃亡生活が終わった。

和子は自供した。

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和子逮捕とその後

松山市までの道中、新幹線にマスコミの記者が同乗したり、和子の周辺が記者に取り囲まれるなど、大変な騒ぎとなった。2003年11月に無期懲役刑が確定した。和歌山県の和歌山市和歌山刑務所に収監された。

逮捕後息子と面会する機会があったようで、そのとき息子は子どももおり、写真を和子に見せ、その写真を見た和子が号泣した。結婚相手とは逮捕前に一度息子から会ってほしいと申し出があり、実際会っているというから驚きである。

長男は裁判でこう証言した。

「母が犯した罪はどうしようもない。被害者や遺族の方には大変申し訳なく思っています。でもぼくにとって大好きな尊敬できる母です。将来出所後は一緒に住みたいと思っていて、妻もそのことは了解しています。」

と。

和子の息子は自身の会社を設立する際にも、母親が福田和子だということを全て説明していた。

和子は陳述書で謝罪した。逃亡中の生活についても記述があった。名古屋で覚せい剤中毒にさせられ売られそうになった、千葉では保険金目当ての手伝いをもちかけられ殺されそうになり裸足で逃げた、監禁されたことも、人殺しでも仕事さえしてくれればと犯罪歴を見透かされたことがあることも、大阪でホームレスの経験があることも。

福田和子の事件について思うこと・まとめ

「魔性・整形逃亡5459日 福田和子事件」大下英治

という著書の中で筆者は和子の性質を、「まめでかいがいしくよく動く。金のある男にのみ興味を寄せる点ははっきりしている。最初のデートは故意にすっぽかし、男の関心を誘う。静かさを嫌い、自分を注目ある立場においておきたがる。」と語っている。

単なる凶悪犯なのか、福田和子について書かれた本を読むと、よくわからなくなってきてしまう。見栄や虚構で作られた和子の外面は、誰かに愛されるために和子が作り上げたものであったのだと思う。

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「悪女の涙-福田和子の逃亡十五年」佐木隆三

これは著者が拘置所で本人取材をして書き上げている。公判では聞けないことも記されている。誰しもがこのような事件を起こしてしまう可能性を秘めているということを感じる。和子が愛情に触れた生活を幼い頃からしていたら、このような哀しい人生にならなかったのかもしれない。哀しい生き方以外を知る環境になかった和子。それ以上に被害者の遺族の悲しみは癒えることはないのだけれど…。

人生について考えさせられる。

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