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【光市母子殺害事件の詳細】なぜ君は絶望と闘えたのか【記者の著書ドラマ化も】

投稿日:

WOWOWで二夜連続放送されたドラマWの『なぜ君は絶望と闘えたのか』

このドラマは

東京ドラマアウォード2011 作品賞(単発ドラマ部門)

第28回ATP賞テレビグランプリ優秀賞(ドラマ部門)

ギャラクシー賞テレビ部門2010年9月度月間賞

平成22年度文化庁芸術祭テレビ部門・ドラマの部 大賞(後編のみ)

など数々の賞を受賞した、フィクションのドラマです。

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話題になった、深く考えさせられるドラマでご覧になった方も多いかもしれません。

 

フィクションですが、もとになった事件・出来事がありその事件は多くの人が知る凄惨な事件の一つでもあります。

1999年に山口県光市で起きた『光市母子殺害事件』を当時取材していた門田隆将氏が、その取材をもとにした著書『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』を出版しました。

その著書を原作に、ドラマ化したものがこのなぜ君は絶望と闘えたのかというドラマです。

 

人物名などは実名ではありませんが、事件のおおかたの内容や、記者の姿勢、当時の司法で問題視されていたことなどはノンフィクションです。

とても深く考えさせられるドラマでした。

それをきっかけに

光市母子殺害事件の全容や、裁判の記録を読みたいと思い、ネットで読み漁ることに没頭しました。

事件についての詳細を以下に記したいと思います。

 

光市母子殺害事件とは

1999年4月14日、山口県光市で当時23歳だった女性が殺害され屍姦され、その女性の娘(生後11か月)も殺害された事件。その後財布を窃盗したとされるが、本来の目的は窃盗ではなく強姦目的であったとされている。

光市母子殺害事件 概要

1999年4月14日午後2時半頃事件は起こりました。

光市の社宅アパートに、加害者の少年が排水検査の作業員を装って侵入。

侵入時には粘着テープやカッターナイフを所持していたとその後の調べでわかっており、計画的な反抗だったと見られています。

 

加害者の父親と、本村さんは同じ社宅区域に居住していたため、被害者の女性とは一方的である可能性もありますが面識があったと考えられています。

 

侵入したのは強姦目的でしたが女性が激しく抵抗したため殺害したうえで目的を遂げようとし、女性を殺害しました。殺害後、加害者は被害者の女性を屍姦し、そばで泣き止まない娘(乳児)をも床に叩きつけるなどして殺害。

女性の遺体は押入れに、娘の遺体を天袋に放置し、居間にあった財布を窃盗してそのまま逃走しました。

そのとき自分の指紋がついたものは捨てるなど、簡単な証拠隠滅をはかりました。

 

その頃、ご主人は仕事のため在宅しておらず、残業を終えて帰宅した本村洋さんが遺体の第一発見者でした。

 

事件のわずか4日後に加害者の少年は逮捕されましたが、この事件はここで解決ではありませんでした。

本村洋さんが事件に対峙していく姿が常に報道されていたので、記憶にある人も多いと思いますが、今までありがちだった、『世間から隠れるように暮らす被害者遺族』という態度とは正反対で、被害者遺族の権利や正当性を訴え続け、なぜ少年だからといって加害者が保護され、被害者やその遺族は実名報道されプライバシーも権利も守られず耐え続けなければいけないのか、そのことを常にメディアで主張し続けたのです。

そして長い時間をかけて、司法の在り方を問い、私たちの意識を動かし、その結果2012年にようやく、死刑という判決がでるに至りました。

 

 

 裁判の経過・詳細

【裁判の基本知識】

○日本の裁判は三審制で、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所と、同じ事件で異なる階級の裁判を三回行う

○不服がある場合は判決のでた裁判所より上級の裁判所に不服申し立てをすることができる。(地裁の判決に不服がある場合高裁に、高裁の判決に不服がある場合最高裁に申し立てる)

○控訴…第一審に対する不服申し立て

○上告…第二審に対する不服申し立て

○差し戻し審…最高裁判所が、高等裁判所の判決に誤りや、事実確認が不足していると判断した場合、高等裁判所に再度審理させる制度。同じ部が審理するのでは、同じ結論になる可能性があるため異なる部で審理する。

 

 

 

1999年6月11日

山口地方検察庁(以降、山口地検)は加害者を山口地方裁判所に起訴した。

 

1999年12月22日

山口地検が山口地方裁判所に死刑を求刑。

 

2000年3月22日 第1審

山口地裁は死刑の求刑に対して無期懲役の判決

第1審で裁判長が出した判決は個別の事情には何の関係もない、過去の判例に縛られた単なる「相場主義」に基づいたものだった。裁判の結果に加害者ではなく被害者が泣く、それが日本の裁判だと本村はこのとき思い知ったのである。

なぜ君は絶望と闘えたのか 門田隆将氏著 より

犯行時18歳であったことから、少年法第51条1項の

『罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期懲役を科する』という規定による。

 

もちろん無期懲役は本村氏が納得する判決ではなく、闘うことをメディアの前で表明し世間の注目を浴びる。

本村氏は記者会見場でこうコメントした。

『司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します』

 

 

2000年3月半ば頃

3月28日号の週刊新潮に本村氏の手記が掲載される(加害者の実名入り)。

『ドラマ・なぜ君は絶望を闘えたのか』でも描かれているが、本村氏は「加害者の実名入りでなければ手記を公開する意味がないと考える」との意向から希望通り実名入りで掲載された。

 

2002年3月14日 第2審

広島高等裁判所は山口地検の控訴を棄却、広島高裁の判決は「無期懲役」であった。

2審判決後の本村氏のコメントは

『裁判官も私たち遺族の気持ちを分かったうえで判決を出された。判決には不満だが裁判官に不満はない』

 

これにより検察は上告。

被告が犯行当時18歳で発育途上であったこと、殺害に計画性がないこと、反省の情が芽生えていること、を理由に判決を下したがもちろん本村氏や検察側は納得できるものではなかった。

 

2005年12月6日

最高裁が「上告審弁論」の期日を翌年3月14日に指定した。

最高裁は法律の解釈を正したり統一するのが本来の任務であり、事件の事実関係の調査は高等裁判所以下が行う。つまり、最高裁で事実関係調査のための口頭弁論が行われること自体がまれであり、それ自体がニュースになった。

最高裁で口頭弁論が行われる場合、判決が覆ることも多いため世間では注目された。

 

2006年3月14日

弁論予定日に被告人の主任弁護士が欠席。理由は研修用模擬裁判のリハーサルのためという。

濱田裁判長は、この5月一杯で最高裁判事の退任が決まっていた。弁論を6月まで延ばせば、この事案は濱田の後任が担当になる。濱田が退任すれば新たな合議が始まる。弁護人の意図は透けて見えていた。

なぜ君は絶望と闘えたのか 門田隆将氏著 より

最高裁は「出頭在廷命令」を発令。

弁論は翌月に延期。

 

2006年6月20日

最高裁は検察の上告を認め、広島高裁の判決を破棄、広島高裁へ差し戻し。

つまり…

広島高裁の判決『無期懲役』を破棄するから、再び広島高裁で裁判をやり直しなさい、という指示。

最高裁判決要旨概要

犯行の態様は、冷酷で残虐なものであり、犯行後の情状も良くない。遺族らが被告人に対して極刑を望む心情は、十分理解することができ、本件が社会に与えた影響も大きい。したがって被告人の刑事責任にはきわめて重大なものがあり、本件は、被告人を極刑に処することの当否を慎重に検討すべき事案である。

各犯行の動機および経緯に汲むべき点はみじんもなく、強姦及び殺人の強固は犯意の下に、何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は、冷酷、残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ない。

遺族の被害感情に対し、慰謝の措置は全く講じられていない。

被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。

被告人は、強姦という凶悪事犯を実行する手段として被害者らの殺害を実行しその後の目的も遂げており、各殺人が偶発的であるとは言えない。本件において殺害の計画性がないことを、死刑回避の理由と評価することは出来ない

被告人は、原判決までの言動、態度等を見る限り、本件の罪の深刻さと向き合って反省を深め得ていると認めることは困難。

原判決は、考慮すべき事実の評価を誤っており、死刑を回避するため酌量すべき事情について審理を尽くしていないまま第一審判決(無期懲役)を是認したものであって、その刑の量定は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる

参考:最高裁判決要旨

裁判官全員一致で上記のように、広島高裁への差し戻しが決定した。

最高裁がこう判断し、差し戻したということは

広島高裁は事実や被害者遺族の感情が上記の通りであるならば死刑判決にしなければならない。

被害者弁護側が死刑を回避するためには主張の方向性をかえなければならなくなったということ。

そこで弁護側は被告人の行動を母恋しさ、寂しさからくる抱き着き行為が発展した「傷害致死罪」と「死体損壊罪」が適用されるとの主張に切り替えた。

 

差し戻し控訴審の経過

2007年5月24日 第1回公判

弁護人・検察官の更新意見の陳述

検察側は死刑適用を主張、弁護側は殺意はなかったと死刑回避を主張した。

強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついたが、激しく抵抗されたため、驚愕のうちに誤って殺害してしまった。乳児を殺そうとしたのではなく、泣き止ますために首に蝶々結びしただけ。

 

第1回集中審理
6月26日,27日 第2回、第3回公判

実行行為に関する被告人質問

山口地裁での1審から実に7年ぶりに被告人質問が行われたが、一転して被告は「殺意・強姦目的を否定」した。

26日 被告人質問

排水点検の作業員を装い家に上がったところから

弁護人「作業が終わったと告げたら、弥生さんは何と言ったのか」
被告「『ご苦労さま』という趣旨のことを言ってくれた」
弁護人「それを聞いて、どういう気持ちになったのか」
被告「とにかく甘えたいなという気持ちを持った。頭をなでてもらいたい気持ち。それで、弥生さんの後ろに回りこんで抱きついた」
弁護人「弥生さんはどう反応したか」
被告「抵抗するとは思っていなかったのに、立ち上がろうとした。お母さんに嫌われたような感覚になった」
弁護人「『お母さん』とは」
被告「中1のときに亡くなった実母。弥生さんを通して、実母の姿をみていた」
弁護人「それで、どうなったのか」
被告「弥生さんと一緒にあおむけに倒れてしまった。手足をばたつかせていたのを押さえようとしたら(プロレスの技の)スリーパーホールドの形になった」
《席から立ち上がり、身ぶりも交えて説明する被告。傍聴席の遺族からはため息が漏れた》
弁護人「弥生さんはどうなったか」
被告「無我夢中でいたら、動かなくなった。『なんてことをしてしまったんだろう』と呆然(ぼうぜん)とした」
弁護人「その後で覚えていることは」
被告「背中に強い痛みを感じて振り返ったら、弥生さん、つまりお母さんが何か光るものを振り上げていた。振り払おうとして、弥生さんを下にして倒れた」
弁護人「どう思ったか」
被告「弥生さんにお母さんのイメージを抱いていたので、信じきれない思いになった」
弁護人「それからどうしたのか」
被告「弥生さんを押さえつけていたら、徐々に力がなくなって動かなくなった。それでも、さっきは気絶していた弥生さんから反撃されたので、押さえ続けていた」
弁護人「どうなったか」
被告「視線を向けたら、弥生さんののどを僕の手が押さえていた。信じられない状況に陥ってしまった」
《検察側は被告が弥生さんに馬乗りになり、首を絞めて殺害したと主張。これまでの判決も、検察側の主張通りに認定している》
弁護人「乱暴しようと思わなかったか」
被告「全くない」
弁護人「その後は」
被告「粘着テープを取りにいった。お母さんが変貌(へんぼう)するのを止めるため、手を縛ろうと思った」
弁護人「『変貌』とはどういうことか」
被告「お母さんに何かがとりつくような感じ。お母さんは暴力をふるわないし、抱きとめてくれる存在なのに」
弁護人「それからどうしたのか」
被告「弥生さんの服を胸のあたりまでずらし上げた」
弁護人「なぜそんなことをしたのか」
被告「女性なので、恥ずかしがって反応するだろうと思った」
弁護人「この時点で弥生さんが亡くなっているとは思っていなかったのか」
被告「思ってないし、思いたくなかった」
弁護人「その後、弥生さんの胸を触るなどしたのはなぜか」
被告「赤ん坊に戻りたい心境だった。反応を示してほしかったが、それ以上に甘えたかった。その後で、亡くなっているのに気づいた」
弁護人「そのときに赤ちゃんの姿が目に入ったのか」
被告「泣いているのに気づいた。泣く原因を作ったのは自分なのであやそうとしたが、弥生さんを死なせてしまった直後で力が入らず、赤ちゃんは頭から落ちた」

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産経新聞より

 

27日 被告人質問

弁護人「その後、再び赤ちゃんをあやそうとしたのか」
被告「抱っこしたのだが、へたりこんで赤ちゃんを床に下ろした」
弁護人「それからどうしたのか」
被告「ポケットに手を入れたら、ひもが入っているのに気づいた」
弁護人「それを赤ちゃんの首を絞めるのに使ったのか」
被告「分からない。首にひもが巻かれていたことは逮捕後知った」
弁護人「赤ちゃんが亡くなったことは事件当日に認識したのか」
被告「はい。深い絶望に陥って、赤ちゃんを押し入れの上の天袋に入れた」
弁護人「なぜ天袋に入れたのか」
被告「今思うと幼いのだが、ドラえもんの存在を信じていた。押し入れに入れれば、ドラえもんが何とかしてくれると思った」
弁護人「その後、どうしたのか」
被告「弥生さんにハイハイするようにして近づいた。お母さんに助けを求める心境だった」
弁護人「近づいて何をしたのか」
被告「乱暴した」
弁護人「亡くなっているのを分かった上でなぜ乱暴したのか」
被告「生き返ってほしいという思いだった」
弁護人「どういうことか」
被告「山田風太郎の『魔界転生』という本に、そういう復活の儀式が出ていたから」
弁護人「乱暴した後、どうしたのか」
被告「弥生さんを押し入れに入れて、座布団を何枚か上に乗せた。布団をかけてあげるような気持ちだった」
弁護人「その後、本村さん宅を出るときに持って出たものは」
被告「粘着テープとペンチ、スプレー」
弁護人「でも、粘着テープと思っていたものは何だったのか」
被告「(弥生さんの)財布だった」
《これまでの判決は、被告が遺体を押し入れに隠した上で財布を盗んで逃走したと認定している。弁護側の最後に、主任弁護人が供述内容を確認した》
弁護人「弥生さんと夕夏ちゃんを殺害しようと思ったことは」
被告「ない」
弁護人「死んでもいいと思ったことは」
被告「ない」
弁護人「昨日と今日、聞いた通りか」
被告「はい」
《続いて検察側が尋問》
検察官「弥生さんの口と手に粘着テープを張ったと供述していたが、遺体の写真をみると、鼻にも張られているが」
被告「張った覚えはない」
検察官「最高裁に提出した上申書や鑑定人への説明は、今回の被告人質問と同じ内容か」
被告「ちがう。上申書を出したのは1年前だが、この1年、記憶を精査した」
検察官「上申書ではどう説明していたのか」
被告「法廷で話したことが真実に最も近い」
裁判長「質問に答えなさい」
被告「覚えていない」
《検察側の尋問は30分足らずで終了。昼の休廷をはさんで裁判官が尋問した》
裁判官「遺体に乱暴した後、脈を確認したりはしたのか」
被告「いいえ」
裁判官「生き返らせようと乱暴したのに、実際に生き返ったか確認しなかったのか」
被告「はい」
裁判官「なぜ確認しなかったのか」
被告「分からない」
裁判長「『魔界転生』を読んだのは、単行本か文庫本か」
被告「覚えていない」
裁判長「自分で買って読んだのか」
被告「覚えていない」
(被告人質問は終了)

産経新聞より

犯罪心理鑑定人加藤教授はこう証言。

元少年と母親は以前から父親に暴力を受けており、互いに依存し合い安心感を得ていたが「元少年が中学1年の時に母親が自殺したため、支えがなくなった」と述べた。「友人らとは内面を深める関係ではなく、他人から見捨てられないように迎合したり誇大に振る舞ったりしたため、うっせきした感情がたまっていた」と説明した。

7月28日 第4回公判

犯罪心理鑑定人の尋問

鑑定人の証言

「被害者を死亡させた行為では、パニック状態で正常な判断ができなくなっていた」と証言した。

「癒やしてほしいという感情を阻止され、自分勝手に腹を立てた。他者からは理解されない感情だ」と分析。

被告の更生可能性について「自分を正当化する意識が強く、反省は全く足りない」としながらも、「心から謝罪できるための専門家のサポートが必要だ」と述べた。さらに、山口家裁が作成した被告の調査記録に触れ「調査結果を精査していれば母胎回帰のストーリーが見えてきたはず。なぜきちんと吟味しなかったのか」と、差し戻しまでの審理に対して疑問を投げかけた。

 

第2回集中審理
7月24日 第5回公判

犯行日の行動についての被告人質問

7月25日 第6回公判

法医学鑑定人2名の尋問

「自白の殺害方法と違う」光母子殺害で弁護側鑑定人

鑑定人は日本医科大大学院の大野曜吉教授(法医学)と法医学者で東京都監察医務院の上野正彦元院長。
1999年4月に光市で起きた母子殺害事件の差し戻し審の公判が25日、前日に引き続き広島高裁であった。弁護側の依頼で法医鑑定をした二人の専門家が法廷に立ち、1人目の日本医科大大学院の大野曜吉教授は「捜査段階で男性被告が自白した殺害方法は遺体に残された損傷と整合しない」などと証言、差し戻し審での被告の証言と一致するとの考えを示した。

上野元院長は「右の逆手で押さえたと推測できる」などと主張。大野教授も、押さえたのは片手だったとの見方を示し、「大声を出されて右の逆手で口をふさごうとした際、首にずれて誤って死なせた」とする弁護側の主張に沿う発言をした。

鑑定人は、殺意はなかったとの弁護側の意見に沿う主張をした。

 

7月26日 第7回公判

精神鑑定人の尋問

被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。

 

第3回集中審理
9月18日,19日 第8回、第9回公判

供述の変遷・情状に関する被告人質問

被告は1、2審から一転して殺意を否定したことについて「(捜査段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」回答した。

9月20日 第10回公判

検察官請求の法医学鑑定人尋問、被害者遺族の意見陳述、被告人質問

本村氏の意見陳述より一部抜粋

君は殺意もなく、偶発的に人の家に上がり込み、2人の人間を殺したことになる。こんな恐ろしい人間がいるだろうか。

私は、君が反省するには、妻と娘の最期の姿を毎日でも思い浮かべるしかないと思っていた。しかし、君は殺意もなく、生きたいと思い最後の力を振り絞って抵抗したであろう妻と娘の最期が記憶にないのだから、反省のしようがないと思っている。

A君。私が君に言葉をかけることは、これが最後だと思う。

最後に、私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代の老子の言葉です。

《天網恢々、疎にして漏らさず》

意味が分からなければ、自分で調べてもらえればと思う。そして、この言葉の意味をよく考えてほしい。

君が、裁判で発言できる機会は残り少ないと思う。自分がこの裁判で何を裁かれているのか、己の犯した罪が何なのか、自分が何を成さなければならないのかをよく考え、発言をしてほしい。

そして、君の犯した罪は、万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない。

人の命を身勝手にも奪ったものは、その命をもって償うしかないと思っています。それが、私の正義感であり、私の思う社会正義です。そして、司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義はないと思っています。

私は、妻と娘の命を奪った被告に対し、死刑を望みます。

そして、正義を実現するために、司法には死刑を科していただきたくお願い申し上げます。

10月18日 第11回公判

無期懲役判決破棄・死刑を求める検察官の最終弁論

12月4日 第12回公判

殺意・乱暴目的否定、死刑回避を求める弁護人の最終弁論、結審

 

2008年4月22日 判決公判

弁護側主張が死刑回避理由にはあたらないとされ、死刑判決

弁護側上告。

 

2012年2月20日

上告が棄却され、2012年3月14日付けで死刑が確定

 

2012年10月29日

死刑判決に誤りがあるとして弁護団が広島高裁に再審請求。

 

2016年現在

広島拘置所に収監されている。

被告人が友人に宛てた手紙

一審の公判中だった1999年11月から、1審判決後にかけて、加害者が友人にあてた手紙。

検察側が証拠として提出し一部は法廷で読み上げられた。

『誰が許し、誰が私を裁くのか・・・。そんな人物はこの世にはいないのだ。神に成り代わりし、法廷の守護者達・・・裁判官、サツ、弁護士、検事達・・・。私を裁ける物は、この世にはおらず・・・。二人は帰ってこないのだから・・・。法廷に出てきてほしいものだ・・・何が神だろう・・・サタン!ミカエル!ベリアル!ガブリエル!ただの馬鹿の集まりよ!』『選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある』

『勝ったと言うべきか負けたと言うべきか?何か心に残るこのモヤ付き・・・。イヤね、つい相手のことを考えてしまってね・・・昔から傷をつけては逃げ勝っている・・・。まあ兎に角だ。二週間後に検事のほうが控訴しなければ終わるよ。長かったな・・・友と別れ、また出会い、またわかれ・・・(中略)心はブルー、外見はハッピー、しかも今はロン毛もハゲチャビン!マジよ!』

『ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。・・・でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし』

『知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。遺族は出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』

『オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ』

『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』

『五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』

 

実名報道にまつわる見解

死刑が確定したことで社会復帰の見込みがほぼなくなったのだから、実名報道に切り替えても良いのではないか、と匿名報道から実名報道に切り替えるマスコミと、往来通り匿名のまま報道するマスコミに二分した。

実名報道派

朝日新聞

「国家により生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだとの判断」

読売新聞

「死刑が確定すれば、更生の機会はなくなる一方、国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」

産経新聞

「死刑が事実上確定し、社会復帰などを前提とした更生の機会は失われる、事件の重大性も考慮」

匿名報道派

中日新聞・東京新聞

「死刑が確定しても再審や恩赦の制度があり、元少年の更生の可能性が直ちに消えるわけではない」

毎日新聞

「母子の尊い命が奪われた非道極まりない事件ですが、少年法の理念を尊重し匿名で報道するという原則を変更すべきではないと判断」

日本弁護士連合会

「少年法61条に明らかに反する事態であって極めて遺憾、今後同様の実名報道、写真掲載等がなされることがないよう強く要望する」

 

橋下徹氏が「テレビで懲戒呼びかけ」

当時弁護士だった橋下徹氏が、加害者側の弁護団に対し2007年5月27日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」の中で、『あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ』と視聴者に呼びかけた。

その後放送を見た視聴者から7558通の懲戒請求書が殺到。

橋本氏自身は請求をしていない。

 

これに対して弁護団のうちの4人が橋本氏に損害賠償を求める訴えを広島地裁におこした。

最高裁は『橋本の行為は弁護士として問題なしとまでは言えないが、懲戒請求の呼びかけそのものは不法行為とはいえない』として訴えは棄却された。

 

被告人の実名入り本出版にまつわる騒動

2009年10月『福田君を殺して何になるー光市母子殺害事件の陥穽ー』という増田美智子氏の著書が出版される。

被告側弁護団は出版指し止めを申し立てたが、「実名記載に被告が同意していた」という理由で却下された。

 

著者は「被告人に了解をとって実名を公表した」とし、弁護側は「被告人からそのような話をきいていない」と双方の主張は食い違った。

2012年5月23日の判決では、被告側の主張は一部認められ、著者に66万円の支払いと命じた。出版差し止めについては認められなかった。

 

まとめ

日本は少年法により18歳未満への死刑を禁じています。犯行当時18歳と30日であった被告人に対して、その1ヶ月の差で死刑を選択できるか否か、そこが今回の公判の焦点であったと思います。

加害者の人権を擁護する人も多く、その中のひとりである某大学の教授はテレビの放送中に被害者遺族である本村氏にこう言い放った。

「あんた、犯人の少年が死ねばそれで満足なのか」

「法律も知らないくせに」

 

遺族の心情を知らないくせに、と言いたかった。被害者が1人だから死刑にならない、3人だから死刑にする、などの過去の判例に縛られた相場主義に基づいた判決が行われていた今までの司法で、今回の事件で本村さんの勇気ある行動により、覆された。

判決は死刑になっても、被告人の心情は本当のところどうなのか。

差し戻し控訴審の際に弁護人は被告に、真の反省を促したのでしょうか。犯行時、殺意もなかったという主張を最後に繰り出してきたのだから、真の反省はあり得ない。本村氏も意見陳述でそう述べていました。

本村氏の3300日が意味のあるものだったのは確かですが。

後味の良い終わり方をする事件などありませんが、遺族の方が前に進めるような終結でなければならないと感じました。

悲惨な生い立ちが凶悪犯罪の理由になどならない。犯罪のおきない世の中になることを願う遺族の方と同じ気持ちです。

 

 

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